Since 【第27回  

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2 大阪名物との結びつき
 ファンシー・バラエティショップ『GIFTPLAZA SENOYA』はファンシーブームの波に乗り、大阪府内に6店舗を構えるまで成長した。しかし、時代が昭和から平成に移ろうとするころ、ブームは下火となり、売り上げが落ち始めた。バラエティ雑貨やファッション雑貨を多めに並べてみても、下降線をたどるばかり。
「そのうえ日本はバブル崩壊で、うちの借金は増えましたね。でも、あるグッズが私のやるべきことにヒントを与えてくれたんです。それが大阪名物の『くいだおれ人形キーホルダー』でした。月に1万個も売れていたんですよ。それをきっかけに、もともと店の一角だった“なにわ名物コーナー”をどんどん拡張していきましたね」
 生まれも育ちも大阪の野杁さんは、小さな頃から大阪が大好きだった。
「むかしの大阪は輝いていました。よそから憧れられるような街だったんですよ。その大阪が万博をピークにどんどん活気を失っていくのがつらくて……」
 どうにかして、元気だった大阪を伝えていきたい。もう一度大阪を盛り上げたい。“なにわ名物”は、野杁さんの思いにぴったりフィットした。
3 試行錯誤で作りあげた変わり名物
 店の経営立て直しに走りまわる一方で、平成8年に『なにわ名物開発研究会』を設立。雑貨屋に限らず、IT業界人や大学教授など、大阪を愛するさまざまな人が寄り合ってなにわ名物の開発に努めた。
「メンバーは“時代を変えたい”って意気込んでる、いわゆる変人ばっかり(笑)。ほんまにいろんな業界の人が集まりましたわ。同じ業界の人ばっかり集まっても、意見が同じ方向にしか行きませんからね」
 こうしてできあがった商品第1号が、『たこ焼きキャンディー』だった。
「固定観念を捨てるのが大変でした。“その考えを捨てんと前へ進まへんで!”と喝を入れながら、ああでもない、こうでもないって、手さぐりで制作したんです」
 試行錯誤の末にできた処女作だったが、「『大阪の名物がたこ焼きだなんて、格好悪い』と怒ってくる人もいたんですよ。でも実際、たこ焼きも大阪を立派に盛り上げてくれている商品ですから」。そんな冷たい声を浴びながらも、お客さんの評判はうなぎ登りに。店内は少しずつ野杁さんの愛する“なにわ名物”で埋まっていった。


 

≪KEY PERSON≫

野杁 育郎氏(57歳)

≪PROFILE≫

[出生・出身地]
1948年 大阪市

[好きな言葉]
いちびり、はんなり

[趣味・特技] 
なにわの商品開発、いろいろな人との交流


≪COMPANY DATA≫

●創業●
1974年10月

●事業内容●
大阪名物・観光みやげ専門店の経営、なにわ新名物の企画・開発など

●所在地●
大阪市中央区難波1-7-2


 
取材・文/大久保由紀  写真/小島義秀