関西人間図鑑  【第23回  

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自分の知らない声
 大学では法学部に在籍、弁護士を目指していた。弁護士になることを切望されていたからだ。 「弁護士だった祖父が、事務所をボクに継がせたがっていたんですわ。明治生まれの鉄の精神を持った祖父に、『歌舞音曲は禁止だ!』なんて言われてね。でも、1回生の途中で挫折」
  理由は、六法全書の中に“愛”という言葉が出てこないから。愛と情熱のオトコなのだ。 
 ちょうどその頃、知り合いに頼まれてピアノ・バーで弾き語りのアルバイトを始めた。時はまさしく、バブルの絶頂期。大学生でも、一晩で1万円の稼ぎが入ることは珍しくなかった。それ以上にすごかったのがチップだ。
「リクエストされた曲を覚えていて、次にその人が来店されたらさり気なく弾くんですよ。“この人、『コスモス』が好きだったな”なんてね」 
 バブルに踊らされることなくバイト代も含めてしっかり貯金し、ニューヨークへと旅立った。23歳のときである。


 


≪分類≫
ミュージック目 
美術科

≪生息地≫
京都・太秦

≪年齢≫
39歳


≪分布≫
大阪市北区

≪活動時間≫
5時〜21時半

≪好物≫
ふぐ(てっさ!)

≪相棒≫
社長

≪天敵≫
ナシ(『LOVE&PEACE』な人間なので)

 
取材・文/中村 神無